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スタッフメッセージ
会長青山 竜馬

会長青山 竜馬
2013年第一子(一卵性双生児の女児2人)に恵まれるものの、長女菫(すみれ)が生後230日に「急性心不全」で急逝しました。その後次女環(たまき)が「特発性拡張型心筋症」と診断され、大阪大学医学部附属病院にて治療を続けるも、心臓移植でしか生きる道は無くなりました。当時、日本では小児の心臓移植は雲をつかむような状況でしたので、2015年10月に米国への渡航移植を決意し、トリオ・ジャパンに相談をしたのがトリオと関わったきっかけです。
生意気ながらに当時からトリオのメンバーの高齢化を心配しておりました。2017年3月に無事帰国することができ、その際に「実はトリオの看板をたたもうと考えている。もしよかったらトリオの運営に関わってほしい。」との誘いを受け、二つ返事でトリオ・ジャパンへの加入を決意しました。正直、このような重責を担えるのか?本業を抱えながらの活動は大丈夫なのか?たくさんの心配はありましたが、命の恩人であるトリオ・ジャパンの活動に関われることはとても光栄なことでもありました。
私たちは臓器移植が日常医療となるために“臓器提供について語りやすい社会”を目指します。“あげる”“あげない”“もらう”“もらわない”全ての権利が等しく尊重され、“あげる”と“もらう”の尊い意志が無理なく結ばれる社会を切望しております。その実現のためにトリオ・ジャパンはソーシャル・ハブとして在り続け、様々なステークホルダーに色々な角度から働きかけをおこない、臓器移植を身近なものとして感じてもらうよう活動して参ります。
日本で最初の心臓移植手術が行われて半世紀以上、法律ができて20年以上が経過しましたが、日本の移植医療を取り巻く環境はまだまだ厳しいのが現状です。それでもポジティブに発信して参りますので、どうか私たちの背中を押してくれる仲間になっていただけたら幸いです。
事務局長横山 慎也

事務局長横山 慎也
2009年に5歳だった息子が特発性拡張型心筋症を発症し、医師から命の炎を灯し続けるためには心臓移植しか道がないと告知され、目の前が真っ暗になりました。内科的治療も限界を迎え、国内初の成人用補助人工心臓を5歳の小さな身体に装着しました。当時は15歳以下の患者は国内で移植手術を受けることができなかったため、渡航移植に一縷の望みを賭けることにしました。
その時に親身になってアドバイスをくれたのが当時のトリオ・ジャパンの皆さんでした。年季の入った愛情と𠮟咤激励の甲斐もあり、2010年9月に息子は遠い異国の地で運命の出会いを果たし、ドナーさんと共に歩む第二の人生をスタートすることができました。
感謝の日々が続いた6年後、役員の高齢化のため、トリオが解散する話を当時渡航移植が成功して帰国した青山さん(現会長)から聞きました。トリオが無くなったら、かつての自分たちと同じ境遇のご家族の未来は暗いままになってしまうかもしれない。なんとか存続してもらいたい。その想いが通じたのか当時の先輩からバトンを託され、微力ながら活動をさせていただいています。
「臓器移植医療」と聞くと、暗くて重いイメージがあると思います。脳死になった方から奪う行為なのではないかと想像する方もいると思います。しかし、実際は「贈りたい人からもらいたい人へ命をつなぐ」尊くて素晴らしい医療です。患者さんとそのご家族の日常が、泣き顔から笑顔へ、土砂降りから晴天へ好転するのです。
私たちの夢は、渡航移植が無くなること。そして移植先進国と言われるオーストリアやスペイン、フランスのように「自分に万が一のことがあった場合、生前に臓器提供をしませんと意思表示をしない限り」、自動的に誰かの命を助ける仕組みが我が国にも根付くことです。そのためには、官民が移植医療に関心を持つ様々な仕掛けが必要だと考えます。
何かのご縁でこのページを訪れた方々と一緒に、日本の移植医療分野を盛り上げ、また、国内で移植待機している患者さんたちが笑顔になる企画を実施して行きたいと思っております!どうかアイデアとご支援をよろしくお願いいたします。
理事上原 良太

理事上原 良太
2015年に次男が生まれました。生まれた当初は元気だったものの、1歳を前にした2016年の5月に風邪のような症状が治らず、近くの総合病院を受診すると、すぐに東京大学附属病院へと転院となり、そこで「拡張型心筋症」と診断されました。
医師からは、最終的に助かるには心臓移植しか方法はないと言われ、日本臓器移植ネットワークに登録して、まずは日本で移植待機することにしました。ですが、2年以上待っても日本では移植の機会に巡り合うことが出来なかったため、トリオ・ジャパンに相談し、悩みに悩んだ末、2018年に海外渡航移植の決断をしました。
当時、青山さんや横山さんが親身に相談にのって下さり、また知人・友人などの多くの方々の助けもあり、募金活動を経て渡米、2019年8月にドナーと巡り合うことが出来ました。
2020年2月に無事に日本に帰国後、トリオの活動への参加のお誘いをいただきました。トリオが掲げる大きな目標の前に、微力ではありますが、子供のことでこれまで多くの方々に助けていただいたこと、そこで経験したことや考えたことが少しでも役に立つならという思いで活動に参加させていただいています。
現在の日本では、かつて自分がそうであったように、多くの方々にとって臓器移植というものが遠い出来事になってしまっていると感じています。ですが、誰しもが臓器を提供する側にも、提供を受ける側にもなる可能性があります。トリオの活動を通じて、移植医療が日本でももっと当たり前の医療となることを願っています。